小田良司 日本地ビール協会 会長の死を悼む
みなさん
こんにちは。
伊勢角屋麦酒社長の鈴木成宗です。
いつもお世話になっています。
さて、もうすでに多くのクラフトビールファンの方々はご存知のことと思いますが、昨日、日本地ビール協会のファウンダーにして、最後まで会長を務められた小田良司氏が闘病の末に、69歳の若さでお亡くなりになりました。
謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。
私は、1997年に伊勢角屋麦酒を立ち上げ、その年に、小田会長に初めてお目にかかりました。当時、伊勢という田舎では、地ビール関する情報は待っていても何一つ手に入るものは無く、調べていく中で、日本地ビール協会が、イヴァリュエーターやジャッジ、そして当時は、マスターイヴァリュエイターという呼称の資格の講習と認定試験を行っていると知り、すぐさま、申し込み、その年にうちに、ジャッジやマスターイヴァリュエーターなどの資格を取得しました。
小田会長は当時から、海外のクラフトビール事情に明るく、アメリカクラフトビール界の重鎮中の重鎮であるブルワーズアソシエーションのチャーリー・パパジアン氏をはじめ、多くの業界関係者に人脈があり、そうした多くの知見を通して日本のクラフトビール業界の姿を誰よりも遠くまで見ていたひとりでした。
そんな小田会長から、いろいろなこの業界の可能性など伺ってきたものでした。
私が、1997年から三年連続JapanBeerCupの審査員を行い、1999年のGreat American Beer Cupの審査員や、2010年イギリスBIIAの審査員をさせていただいたのも、全ては、この1997年の日本地ビール協会の講習会への参加と小田会長との出会いが始まりでした。
強烈なカリスマ性と剛腕で、日本地ビール協会を引っ張り、日本にクラフトビールを根付かせた小田会長が、お亡くなり、日本のクラフトビール業界の一つの時代が終わったことをはっきりと感じます。
アメリカは、チャーリー・パパジアン氏をはじめ、ギャレット・オリバー氏、スティーブ・ヒンディー氏などの才能と人望によって、強力な組織力をもったブルワーズアソシエーションができ、アメリカのクラフトビール業界の神がかり的な発展を支えてきました。
小田会長がお亡くなりになられた今、私はなにができるのだろうか。